鞆の浦と龍馬の関係
江戸時代末期(1867年)、坂本龍馬(さかもとりょうま)が「いろは丸」という船で海運業務を行っていた際、瀬戸内海で紀州藩の軍艦に衝突されてしまいました。
この事故でいろは丸は積み荷とともに沈没。事故現場から一番近くて大きい港が鞆の浦だったことから、事故の当事者たちは鞆の浦に上陸し、事故の損害賠償交渉を行ったのでした。
龍馬が鞆にいたのはたったの4日間だけでしたが、鞆の沖には今もいろは丸が沈んでいて、それを2006年に発掘調査したのが鞆の住民団体「鞆を愛する会」だったことから、この町に「いろは丸展示館」があるというわけです。
龍馬 VS 紀州藩 談判(損害賠償交渉)の内容
龍馬側の言い分としては、「鉄砲400丁など銃火器3万5630両、金塊など4万7896両198文が沈んだから、合わせて8万3526両198文を支払ってくれ」というものでした。
※江戸時代後期の1両は、現在の価値に換算すると3万円から5万円となるので、8万3526両198文は約25億円~42億円に当たります
最終的に、紀州藩は龍馬側に賠償金7万両を支払ったのですが、2006年に行われたいろは丸の沈没場所の調査では、龍馬が主張した鉄砲などの銃火器は一切発見されませんでした。
いろは丸展示館について
鞆の沖に沈んでいる「いろは丸」の足跡をたどるために作られた資料館、それが「いろは丸展示館」です。
江戸期に建てられた蔵をそのまま利用していますので、太い梁など、その堂々たる造りも見どころの一つです。鞆の町では「大蔵」とも呼ばれています。
館内では、船体調査の際に引き上げられた物品や、沈没状況のパノラマ、調査風景写真の展示や関連映像のビデオ上映を行っています。
また、2階には龍馬が鞆に滞在した際に隠れていた「龍馬の隠れ部屋」をそっくり再現。そしてそこには精巧な龍馬人形が佇んでいて、人気の写真スポットになっています。ぜひ龍馬とのツーショット写真を撮ってみてくださいね。
いろは丸展示館の施設詳細
JR福山駅から鞆鉄バスで鞆港バス停下車 徒歩5分。常夜燈のすぐ側にございます。
住所 | 広島県福山市鞆町鞆843-1 |
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電話番号 | 084-982-1681 |
開館時間 | 10:00~16:30 |
休館日 | 年末年始(12月28日~1月1日) |
入館料 | 小学生以上200円 |
駐車場 | 駐車場はございません。 お車でご来館の際は有料市営駐車場等にご駐車ください。 |
龍馬のあしあと
鞆の町には「いろは丸展示館」以外にも、龍馬に関連した場所がいくつかありますのでご紹介いたします。
龍馬宿泊所跡
いろは丸の船員たちの宿となった場所で、江戸時代の廻船問屋・桝屋清右衛門の邸宅。今も当時のままの佇まいを残しています。
龍馬交渉跡(御舟宿いろは)
龍馬が紀州藩の船長と賠償交渉を始めた場所で、魚屋萬蔵の邸宅。 「いろは丸事件談判跡」の石碑が建っています。 現在は「御舟宿いろは」という飲食店になっていて、龍馬が実際に談判を行った部屋でお食事を楽しむことができます。